
あまりにも多くのことが変わったのに、描く動機が変化しないはずがない。
三週間ほど前の明け方に大きな気付きがあり、それからずっと考えていた。
無意識、形而上学、哲学、ユング的なアプローチなど、長い年月をかけて学んだ世界観。
現実にもそれで説明のつくものが多く、実際に世界を解釈する際には助けられてきたけれど、結局は他者の提唱した既存の概念をお借りしているに過ぎない。
あの日、わたしは生まれ変わった。
自分の生まれてきた本当の理由がやっと見つかって、世界が新しくなったのに、同じ地図を握りしめたままなんて。
少し前から自覚していたこの違和感が、ふと襲いかかる説明の付かない寂しさのようなものを育てている正体である気がしていた。
そしてわたしは長年かけて学んできた概念、握りしめていた地図を手放して、新たな世界を生きることにした。
既存の概念を手放したら、降りてきた指令で描く感覚も、わたし個人の想いを表現することも、等しく意味のあること、つまりそこにわたしの意識が乗ろうと乗るまいと、どうしたって必然にしかならないのだと気づいた。
わたしをあの日に連れてきたのは、説明のつかない偶然たち。でも、わたしをここまで連れてきたのはわたしの強い想い。わたし個人の願いなのだから。
今後、どう描いてゆくのか。
自問自答していたとき、母からある言葉をもらった。
「未来って職人みたいね」
この言葉が、今まで上手く説明できなかった、描いているときの感覚に対して、本当にしっくりきて。
今までは、職人だったんだ。
これからは、
何処かから降りてくる指令を受けて描く、職人として生きる時間。
個人的な想いを表現したり、思想を探究したり、楽しみを追求する、わたしとして生きる時間。
その両者を”概念画家”の中に同居させて生きることにします。
ずっと自己連続性を持つことができずに生きてきた。でも最近、はじめて自分の未来のことを考えるようになって。
この先の未来、自分がどう生きてゆくのか考えたとき
心の悦びや、心の声。
心を在るがまま、自由に遊ばせることのできる場所を、用意しておきたくなった。
これから先も、大きな気づきの中でどんどん変化していくと思うけれど、まずは地図を手放せたことを盛大にお祝いしたい。
